*当サイトのコンテンツは「読者様の役に立つ情報かどうか」を最優先事項として作成しておりますが、その過程で商品プロモーションが含まれることがあります。
*この記事は「地獄が呼んでいる」シーズン1最終話までのネタバレが存分に含まれています。まだ最終話まで見終わっていない場合は絶対に読まないでください。
最終話まで怒涛の展開を見せた「地獄が呼んでいる」。
最終話は大きな謎を残したまま終わることとなりました。
その謎とは、
・ラストシーンで、告知で死んで展示されていた女性がなぜ生き返ったのか
という2点。
この記事では、これらの謎について考察していきたいと思います。
地獄が呼んでいる 赤ちゃんが生かされた理由とは?
結論からざっくり述べると、赤ちゃんが生かされたのは「神の気が変わったから」であると考えられます。
Twitterでも超ざっくりまとめて呟いています。
*最終話までのネタバレ含むツイートです
<考察>
「赤ちゃんが例外的に生かされた理由」神は決して赤ん坊を守った両親への慈悲の心で赤ちゃんを生かしたわけではない。
慈悲の心があるなら両親も生かすはずだから。赤ちゃんだけを生かしたのは、神の”ただの気まぐれ”
— 韓流の庭 (@QciB4OJRRLGt1zi) November 23, 2021
ぺ・ヨンジェPDの子供は、生後間も無くして地獄の使者からの死の予告を受けることに。
それまでは「罪を犯した人間が神の裁きを受け地獄に送られる」と考えられていたものの、
なぜか生まれたばかりの、罪を犯すはずのない赤ちゃんがな裁きを受けることになります。
これは、人間は生まれながらにして罪を背負っているという「原罪論」に基づくものなのか、あるいは神のミスだったのか?
真真理会の中でも議論の対象となりましたが、結局答えは出ず。
そして運命の裁きの日。
予告通りの時間に地獄の怪物が現れ、赤ちゃんに襲いかかりますが、
赤ちゃんの両親であるペPDとその妻が命をかけて赤ちゃんを守ったことで、
両親だけが焼き尽くされて、死ぬ予定だった赤ちゃんだけが生かされるという結末になります。
これまでは予告を受けたものだけが例外なく殺されていた中で、なぜこのような例外的なことが起こってしまったのか?
1つの説としては、「赤ちゃんへの告知は神のただの悪戯であり、赤ちゃんを殺す直前に神の気が変わったから」という説が考えられます。
どういうことかと言うと、
・元々神が人間界に地獄の怪物を送り込み人間を殺したのは、神の気まぐれ・遊びだった
・そもそも神が選ぶ裁きの対象は「罪を犯した人間」ではなかった
・「罪を犯した人間が裁かれる」というのは、人間が勝手に解釈しただけ
・神の気まぐれの遊びの結果、人間の歪んだ正義は暴走を始め、人間同士の醜い争いを始めた
・そんな中、神は次なる気まぐれで、人間が解釈している原則とは異なる告知、つまり赤ん坊への告知を与えてみた
・赤ん坊に告知を与えたのは、これまでの原則と違う告知をした時に、人間はどのような行動を取るのかを見てみたかったから。つまり神からのちょっとした悪戯だった。
・悪戯の結果、両親は命がけで赤ちゃんを守り、多くの人間が自分たちが感化されていた裁きの異常さに気付いた。
・意識が変わった人間たちを見て、神は赤ん坊を殺すのは止め、両親だけを例外的に殺してみた。
ということです。
「赤ん坊を生かすことに決めたのなら、両親も殺さなくてよかったのでは?」という意見も出てきそうですが、
神は決して人間に対する慈悲の心で赤ん坊を生かしたわけではありません。
赤ん坊だけを生かした時に人間がどのように変わるのかを”なんとなく見てみたかった”。
つまり神の”ただの気まぐれ”なわけです。
人間に対して同情したりする心は、神には持ち合わせていません。
ただの神の遊びを人間が勝手に解釈して踊らされていただけなのです。
地獄が呼んでいる 赤ちゃんが生かされた理由はラストシーンにもつながっている?
神の気まぐれだとすると、最終話のラストシーンにも納得がいきます。
ラストシーンでは、以前裁きを受けて焼死体となったはずの女性が、なぜか生き返って終わるという衝撃の展開を見せました。
なぜ生き返らせたのかというと、これも「神の気まぐれである」と考察することができます。
単に「矢じりのようなもっと罰するべき人間がいることに気づいた」「以前罰した人間を生き返らせてもっと悪い奴を殺したほうがいい」
このように神が考えたという意見も出てきそうですが、その線は薄いのではないかと思います。
というのも、神ともあろうものがこんな簡単なことに後になって気づくとは考えづらいからです。
矢じりのような人間が「いかに醜いか」ということに気づかないほど、神は無能ではないのです。
ではなぜ以前罰した人間を生き返らせたのかということですが、
「以前裁いた人間を生き返らせてみたらどうなるのか?自分を裁いた人間に復讐しにいくのか?その結果また新たな争いを醜い人間たちは始めるのか?その様子を”なんとなく見てみたい”」
このような気まぐれによるものなのではないでしょうか?
そもそもこれまでの裁きは、「罪を犯した者を平等に罰する」という原則にはなっていません。
大した罪を犯していないのに罰せられた人、大きな罪を犯しているのに罰せられていない人など、極めて不平等です。
神は裁く対象を「ただ適当に」選んでいただけ
「罪を犯した人間が裁きの対象として選ばれる」というのは、ただ人間が勝手に解釈しただけ。
そこまで大きな罪ではない、あるいは全く罪のない人間も裁かれたり、
逆に大きな罪を犯した人間でも裁かれなかったのは、そういうこと。— 韓流の庭 (@eiga_mylife) November 24, 2021
つまり神にとっては「本当に悪い人間は誰なのか」ということはどうでもいいことだったのです。
タクシー運転手の言葉はドラマを綺麗に締めくくるメッセージ
最後赤ん坊を連れてタクシーに乗ったミン・へジンですが、へジンに向けてタクシー運転手はとあることを言いました。
「神の意志などに興味はない。ここは人間の社会であり、人間の社会は人間が動かしていかなければならない」といった旨の発言。
これこそがドラマ全体を通したメッセージとなっています。
このメッセージからも、ただの気まぐれでしかない神の遊びを人間が勝手に解釈しただけということが分かりますし、
それに踊らされる人間がいかに愚かであるかということを伝えています。
まとめ
「地獄が呼んでいる」最終話の謎についてまとめていきました。
安易に考えるとラストの終わり方は「続編に続く終わり方でしょ!」と解釈してしまいがちですが、
タクシー運転手のメッセージはドラマを綺麗に締めくくっていたため、
このドラマは「これで完結」である可能性が高いとも考えられます。
最後女性が生き返ったのは我々視聴者を嘲笑うためのちょっとした仕掛けで、
ドラマに出てくる愚かな人間たち同様に、我々視聴者も最後まで弄ばれていたと考えるべきかもしれません。
地獄が呼んでいる シーズン2について
安易に考えると続編があると解釈してしまいがちなラストだが、
タクシー運転手のメッセージを考えるとあれで綺麗に完結しているのだと思う。ラスト女性が生き返ったのは、単なる神のいたずら。#地獄が呼んでいる
— 韓流の庭 (@eiga_mylife) November 24, 2021
「地獄が呼んでいる」のラストの終わらせ方は、世界のマーケットで勝負を仕掛ける、
韓国ドラマならではの斬新な試みだったのではないでしょうか?