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*この記事には「ペントハウス3」最終話までのネタバレが存分に含まれています。まだ全シーズン・全話見ていない人は絶対にこの記事を読まないようにしてください。
「ペントハウス3」の最終話では全ての事件が解決し人生をやり直す登場人物達の生活が描かれましたが、
前話で死んだはずのチュダンテと同じ顔をしたホームレスが、ソッキョンのバイト先の焼肉屋に現れるという驚きのシーンがありました。
このシーンに対して「チュダンテが生きてるの?」という疑問を持っている視聴者も多いようですが、
結論を言うとチュダンテは生きておらず、ホームレスはただのチュダンテのそっくりさんであると考えられます。
この記事ではその理由について解説していきます。
ペントハウス3 最終回でチュダンテそっくりのホームレスが *ネタバレあり
父親も母親も失ったソッキョンは、お金持ちの家の娘ではなくなったため、音楽講師や焼肉屋などのバイトを掛け持ちして生活費を稼いでいました。
そんなソッキョンのバイト先に、食べるものに困っているホームレスの老人が現れます。
店長に止められながらもホームレスに慈悲の施しをするソッキョン。
しかしソッキョンが食べ物を与えたホームレスは、なんと父親であるチュダンテと同じ顔だったのです。
父親そっくりの顔を見て驚くソッキョン。
しかしそれ以上そのホームレスに関する描写はなく、最終話は終わりドラマ「ペントハウス」は完全に完結してしまいました。
このシーンがどういうシーンだったのかを理解できずに、「チュダンテが生きてるってこと?」「どういうこと?」とモヤモヤしている視聴者も多いようです。
ペントハウス3 最終話のホームレスはチュダンテが生きているのではなくただの似ている人
ではこのホームレスのシーンは一体何だったのか?
結論から言うと、「ペントハウス3」最終話で出てきたホームレスは、「ただ偶然チュダンテに似ていただけの老人」と考えられます。
まずヘラパレスの爆破事件の際、チュダンテはスリョンに頭を銃弾で撃ち抜かれその後100階から転落しているので、「生きている」ということは100%ありえません。
では最終話でソッキョンのバイト先にチュダンテそっくりの老人が現れたシーンは何だったのかというと、
「チュダンテの本来のふさわしい姿を表現するための演出」であると考えられます。
チュダンテ(本名ペクジュンギ)は元々極貧の環境の中で生まれ育ち、親兄弟を建設現場の事故で失うなど悲劇的な幼少期を送ってきました。
その壮絶な幼少期は彼を怪物へと変貌させ、正当な努力ではなく多くの人の命を奪うという人間とは思えないような手段を使いながら、韓国トップクラスの大金持ちへと成り上がっていきました。
しかし”怪物チュダンテ”が手にした地位は全て偽りの地位であり、真っ当な努力・実力で手にしたものではありません。
”人間チュダンテ”の器は大企業の会長になれるような器ではなく、貧しいまま大人になりホームレスとして生活しているような器だったのです。
「壮絶な幼少期をバネに、真っ当な努力でのし上がっていけばよかったのに・・・」こう思う人も多いでしょうが、
それは我々のように「少なくとも最低限以上の環境を与えられて育ってきた人たち」から見た考え方。
貧しさゆえに教育というものを全く受けておらず、周囲からは人間としての尊厳を踏みにじられながら生きてきた。
そんなチュダンテのような人間に「真っ当な努力でのし上がっていく」という価値観が植え付けられるはずがありません。
チュダンテには極貧のまま大人になるか、人の命を奪うことで地位を手にするか、その2つの選択肢しかなかったのです。
ソッキョンは最後父親を見放しましたが、一方で怪物としてしか生きられなかった父親に哀れみの念も抱いていたことでしょう。
バイト先に現れたホームレスをソッキョンが助けたのは、「かわいそうな人を全ての人が見放してしまうと、父親のような怪物が生まれてしまうことを知っていたから」だと考えられます。
ホームレスの顔を見てソッキョンが驚いたシーンがありましたが、このシーンは哀れみの気持ちで助けたホームレスが「たまたま父親に似ていたから」であり、決して「そのホームレスが父親本人だったから」ではありません。
説明のほとんどない短い描写でありながら、人間の不平等さや悲劇といったものをよく表していたシーンだったと思います。
ペントハウス3 最終話のホームレスについてまとめ
「ペントハウス3」最終話は、欲望に駆られた人間の行き着く果ての姿を、様々な斬新な描写で表現していました。
チュダンテ似のホームレスのシーンも、救いようのないチュダンテという人間の哀れな生き様、そしてドラマが社会に訴えかけたいメッセージをよく表現していたのではないでしょうか?